弥生時代
大陸から本格的な稲作技術と金属器(青銅器・鉄器)が伝来し、社会が激変しました。食料の蓄えを巡って貧富の差や争いが生じ、各地に「クニ」が誕生。吉野ヶ里遺跡のような環濠集落が築かれ、後半には「邪馬台国」の女王・卑弥呼が中国(魏)に使節を送るなど、組織化された国家の萌芽が見られた時代です。
炭素年代測定による弥生時代の幕開け
最新の分析技術により、弥生時代の開始は従来説より約500年早い「紀元前10世紀」とされるようになった。土器に付着した炭化物の分析から、この時期に九州北部で水田稲作が始まっていたことが判明している。
本格的な稲作の伝来と定住生活
朝鮮半島から水稲耕作の技術が伝わり、食料を「生産」する社会へ移行した。福岡県の「板付遺跡」や佐賀県の「菜畑遺跡」では、当時の水田跡や灌漑設備が発見されている。
環濠集落の出現と余剰生産による格差
稲作の普及で食料貯蔵が可能になると、富を巡る争いが発生。集落の周囲に堀を巡らせた「環濠集落」が造られ、佐賀県の「吉野ヶ里遺跡」のような大規模な防衛拠点も出現した。
「漢委奴国王」金印の授与
倭の奴国の王が後漢の光武帝に使いを送り、金印を授かった。これは日本の有力者が中国の皇帝の権威(冊封)を利用し、国内の支配力を強めようとした外交の記録である。
倭国王帥升の朝貢
『後漢書』に、倭国王帥升(すいしょう)らが後漢の安帝に生口(奴隷)160人を献上したと記されている。文献に残る名前としては日本史上最古の人物である。
倭国大乱と青銅器祭祀の終焉
中国の史書に記された大規模な内乱期。この動乱を経て各地の「クニ」は統合へ向かい、それまで祭祀に使われていた銅鐸などの青銅器が地中に埋納・廃棄されるなど、信仰の形も変化した。
卑弥呼、魏に使いを送る(親魏倭王)
邪馬台国の女王「卑弥呼」が魏に使いを送り、「親魏倭王」の称号と銅鏡100枚を授かった。彼女は「鬼道」と呼ばれる呪術で民衆をまとめ、倭国連合を統治した。
卑弥呼の死と纒向遺跡の隆盛
卑弥呼の死後、壹与(いよ)が跡を継ぎ混乱を収めたとされる。同時期、奈良県の「纒向遺跡」では巨大な建物跡や全国の土器が見つかり、初期ヤマト政権へと繋がる広域連合の姿が浮かび上がっている。