大正時代

1912年〜1926年

「大正デモクラシー」と呼ばれる自由主義的な風潮が広まり、普通選挙運動や女性解放運動が活発化しました。都市部ではサラリーマンや「モダンガール」が登場し、西洋文化を享受する大正ロマンが花開きます。短い期間ながら、民衆の力が政治や文化に強く反映された、民主主義と個人の自由が模索された時代です。

1916年(大正5年)

吉野作造が「民本主義」を提唱

東京帝国大学教授の吉野作造が雑誌『中央公論』で発表。主権の所在を問う「民主主義」という言葉を避け、運用の妙を説く「民本主義」を提唱した。これは「主権は天皇にあるが、政治の目的は民衆の利益に置き、決定は民衆の意向に従うべき」という理論で、大正デモクラシーの論理的支柱となった。

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1918年(大正7年)

黎明会の結成と知識人の連帯

吉野作造や安部磯雄らが中心となり、デモクラシー思想の普及を目指す「黎明会」を結成。学問的な啓蒙活動を通じて、労働運動や普通選挙運動に理論的な武器を提供した。同時期の「新人会」などの学生運動とも連動し、言論界に多大な影響を及ぼした。

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1921年(大正10年)

皇太子裕仁親王の摂政就任

大正天皇の病状悪化に伴い、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が摂政に就任した。事実上、大正天皇による親政はこの時点で幕を閉じ、政治の重心は次代へと移り始める。この時期、ワシントン会議による海軍軍縮条約の締結など、国際協調主義(ワシントン体制)が日本の外交指針となった。

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1923年(大正12年)

関東大震災と混乱の発生

9月1日に発生した未曾有の大災害。東京の大部分が焼失し、極度の混乱の中で流言飛語が飛び交い、自警団による凄惨な事件(甘粕事件や福田村事件など)も発生した。国家の危機管理能力と民衆の心理的動揺が浮き彫りとなった。

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1923年〜1930年(大正12年〜昭和初期)

後藤新平の「帝都復興計画」

震災直後に設置された復興院の総裁・後藤新平が、総額約40億円という当時の国家予算を遥かに超える壮大な計画を立案。道路の拡幅、靖国通りや昭和通りの建設、隅田川への近代的な橋梁(永代橋・清洲橋など)の架橋、そして防災拠点としての小学校併設公園(復興小公園)の整備が行われた。

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1924年(大正13年)

同潤会アパートの建設開始

帝都復興の一環として設立された同潤会により、日本初の本格的な鉄筋コンクリート造集合住宅が建設され始めた。電気、ガス、水道、水洗トイレを完備した当時の最先端建築であり、震災後の「不燃都市化」への願いと、新しい中産階級のライフスタイル(都市生活)を象徴する存在となった。

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1926年(大正15年)

金融恐慌の予兆と経済の混迷

関東大震災の復興資金として発行された「震災手形」の決済が滞り、銀行の経営悪化が表面化し始める。大戦景気の崩壊後、抜本的な経済立て直しができないまま大正時代は終わりを迎えようとしていた。これが翌年の昭和金融恐慌へとつながる引き金となった。

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1926年(大正15年・昭和元年)12月25日

大正天皇崩御と昭和への改元

12月25日、大正天皇が47歳で崩御。同日、皇太子裕仁親王が第124代天皇に即位し、元号が「昭和」と改められた。これにより15年間にわたる大正時代が終了。デモクラシーとモダン文化の時代から、恐慌と戦争の影が忍び寄る激動の昭和へと移行した。

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