奈良時代
唐の長安を模した「平城京」が置かれ、律令政治が展開されました。『古事記』『日本書紀』の編纂や、聖武天皇による東大寺大仏の建立など、仏教による鎮護国家を目指す華やかな天平文化が花開きます。一方で、墾田永年私財法により土地の私有化が進み、後の荘園制へと繋がる社会構造の変化も始まった時代です。
平城京遷都
唐の都「長安」をモデルにした大規模な計画都市、平城京に都が移された。碁盤の目状に整備された街並み(条坊制)は、中央集権国家の象徴となり、ここを中心に約70年間にわたる奈良時代の政治が展開された。
『古事記』の完成
太安万侶が稗田阿礼の暗誦を書き記し、元明天皇に献上した日本最古の歴史書。天皇の統治の正当性を神話の時代から裏付ける目的で編纂された。
『日本書紀』の完成
舎人親王らが編纂した日本最初の正史。漢文の編年体で記され、対外的な国家の威信を示す「六国史」の第一冊となった。
三世一身の法の発布
人口増加による口分田不足を解消するため、新しく開墾した土地を三代に限り私有を認める法律。しかし、期限が近づくと土地を放棄する者が相次ぎ、効果は限定的であった。
長屋王の変
藤原不比等の死後、政権を握っていた長屋王が、藤原四兄弟の策謀により自殺に追い込まれた事件。これにより藤原氏が政権の主導権を握り、光明子の立后を実現させた。
天然痘の流行と藤原四子の死去
九州から広がった天然痘(当時は疫瘡と呼ばれた)が猛威を振るい、当時の政権担当者であった藤原武智麻呂ら四兄弟が相次いで病死。政治体制の激変と社会不安をもたらした。
藤原広嗣の乱
藤原四子の死後、権力を握った橘諸兄や僧・玄ボウ(げんぼう)、吉備真備らを排除するため、大宰少弐の藤原広嗣が九州で挙兵。反乱は鎮圧されたが、聖武天皇が平城京を離れる「彷徨(ほうこう)五年」の契機となった。
恭仁京への遷都
藤原広嗣の乱による動揺の中、聖武天皇は平城京を離れ、山背国の恭仁京へと都を移した。その後、難波京や紫香楽宮を転々とする不安定な時期が続くことになる。
国分寺建立の詔
疫病や政変などの社会不安を仏教の力で鎮める(鎮護国家)ため、全国の国ごとに国分寺と国分尼寺を建立することを命じた。
墾田永年私財法
開墾した土地の永久私有を認める法律。三世一身の法の失敗を反省して出されたが、有力貴族や大寺院が大規模な開墾を進め、初期荘園が形成されるきっかけとなった。
東大寺大仏開眼供養
聖武天皇の悲願であった巨大な大仏が完成し、華やかな式典が行われた。インド出身の僧・菩提僊那が導師を務め、当時の国際色豊かな天平文化の頂点を示した。
鑑真の来日と唐招提寺
5度の失敗と失明を乗り越え、唐の僧・鑑真が来日。東大寺に戒壇を設け、天皇から僧侶まで正しい戒律を授けた。後に唐招提寺を建立し、日本の仏教の質を根本から高めた。
恵美押勝の乱(藤原仲麻呂の乱)
孝謙上皇と僧・道鏡の接近に危機感を抱いた藤原仲麻呂(恵美押勝)が挙兵したが、失敗。これにより道鏡が政界で独裁的な力を振るうようになった。
宇佐八幡宮神託事件
称徳天皇(孝謙天皇が重祚)の寵愛を受けた道鏡を天皇の位につけるべしという神託が偽造された事件。和気清麻呂が真偽を確認し、道鏡の野望は阻止された。
長岡京遷都
桓武天皇が、奈良の旧仏教勢力の影響を脱し、水陸の交通に優れた山背国の長岡京へ都を移した。これが、平城京を離れる決断となり、奈良時代の終焉と平安時代の幕開けへと繋がっていく。