室町時代
足利尊氏が京都に幕府を開きました。金閣・銀閣に象徴される北山・東山文化が栄え、能、狂言、茶道など現代に続く「日本文化」の原型が完成します。しかし、応仁の乱を機に幕府の権威は失墜し、下剋上の世である戦国時代へ突入。織田信長が将軍・足利義昭を追放するまで、激動の政治情勢と文化的な成熟が共存しました。
室町幕府の成立と南北朝の動乱
足利尊氏が京都に光厳天皇を立て、自らは征夷大将軍に任命されて幕府を開いた。これに対し後醍醐天皇は奈良の吉野へ逃れ、京都(北朝)と吉野(南朝)の二つの朝廷が並立する南北朝時代が約60年続いた。
明徳の乱と有力守護の抑制
3代将軍・足利義満が、11か国の守護を兼ね「六分の一殿」と称された有力守護大名・山名氏清を討伐。義満はこれに先立つ土岐氏の乱や後の応永の乱を通じ、将軍権力を脅かす有力守護を次々と弱体化させ、幕府の絶対的な権威を確立した。
南北朝の合体と北山文化
足利義満が南北両朝を合体させ、混乱を鎮めた。義満は京都の室町に「花の御所」を造営。この時期、公家文化と武家文化が融合した「北山文化」が栄え、金閣(鹿苑寺)が建立されたほか、観阿弥・世阿弥親子により能・狂言が大成された。
勘合貿易(日明貿易)の開始
足利義満が明(中国)と正式な国交を樹立。倭寇を区別する「勘合」を用いた貿易により、銅銭や生糸を輸入した。莫大な利益が幕府の財政を支え、貨幣経済の浸透を促した。
日明貿易の断絶と義持の外交方針
4代将軍・足利義持は、父・義満が進めた「日本国王」としての朝貢外交を「臣下の礼をとるものであり、国辱である」として拒絶し、明との国交を断絶。武家独自の権威を重んじる政治姿勢を示した。
応永の外寇
倭寇の活動に苦しむ朝鮮王朝(李氏朝鮮)の軍隊が、その本拠地とみなした対馬を襲撃した事件。対馬守護の宗氏が応戦し、その後、和議が成立。これにより室町幕府と朝鮮との外交ルートが整理され、正式な使節派遣や貿易(図書船など)の枠組みが整う契機となった。
正長の土一揆
近江の馬借が中心となり、京都や奈良の農民たちが「徳政(借金の帳消し)」を求めて蜂起。民衆の実力が幕府の法に依らず、物理的に借金破棄(私徳政)を勝ち取った初の事例である。
琉球王国の統一
尚巴志(しょうはし)が北山・中山・南山の三山を統一し、琉球王国を建国。首里城を拠点に、日本、中国(明)、東南アジアを結ぶ中継貿易の拠点として繁栄を極めた。独自の文化を育みつつ、アジア諸国との外交において重要な役割を果たした。
「万人恐怖」の政治と嘉吉の変
6代将軍・足利義教は、衰退した将軍権力の復活を目指し、比叡山延暦寺の屈服など強権的な独裁政治を行った。しかし、その手法は「万人恐怖」と恐れられ、最期は守護大名の赤松満祐により暗殺された。
三魔(さんま)と将軍側近政治
8代将軍・足利義政の時代、今参局(御今)、有馬持家、烏丸資任の「三魔」と呼ばれた側近や、正室の日野富子が幕政に深く介入。幕府内の意思決定は極めて不透明かつ複雑なものとなった。
農業技術の進歩と「二毛作」の普及
米と麦を交互に育てる二毛作が全国へ拡大。下肥(肥料)の使用や牛馬耕、水車による灌漑が進み、生産力が飛躍的に向上した。これにより余剰作物を売買する市場が各地で発達した。
応仁の乱と東山文化の形成
将軍の後継争いから京都を主戦場とする大乱へ発展。11年に及ぶ戦乱で幕府の権威は失墜。戦火の中で、8代義政により銀閣(慈照寺)が建てられ、書院造、茶の湯、生け花など現代に続く日本文化の原型である「東山文化」が育まれた。
山城の国一揆
山城国で地侍や農民が団結し、対立を続ける畠山氏の両軍を国外へ追放。その後、36人の集会(しゅうえ)による約8年間の自治運営を行った。中世自治の到達点と言える出来事である。
加賀の一向一揆
浄土真宗の門徒が結託し、守護大名の富樫政親を自刃に追い込んだ。「百姓の持ちたる国」と呼ばれた加賀では、その後約100年にわたり門徒らによる自治が続いた。
明応の政変と下剋上の本格化
管領・細川政元が10代将軍・足利義材を廃したクーデター。これ以降、将軍は細川氏の傀儡となり、幕府の支配力は消滅。全国規模で旧来の秩序が崩壊した「戦国時代の真の始まり」とされる。
寧波の乱(ねいはのらん)
日明貿易の主導権を巡り、細川氏と大内氏が明の寧波で武力衝突。勝利した大内氏が貿易を独占したが、幕府の外交統制力の完全な欠如を露呈させる結果となった。
戦国大名の領国支配
北条、武田、今川ら戦国大名が独自の法律「分国法」を制定。検地や金山開発を進めて経済力を強化し、家臣団を城下町へ集約して強力な軍事力を保持した。
鉄砲の伝来
鹿児島県の種子島に漂着したポルトガル人が、日本へ鉄砲を伝えた。この新たな武器は、従来の騎馬戦中心の戦い方を歩兵(足軽)による集団戦へと変え、城郭の構造や戦国大名の勢力図に劇的な変化をもたらした。
キリスト教の伝来
イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、キリスト教を伝えた。布教活動は西日本を中心に広がり、キリシタン大名の出現や、南蛮貿易を通じた西洋文化(医学、天文、食文化など)の流入を促した。
桶狭間の戦い
尾張の織田信長が、駿河・遠江を支配する強大な勢力の今川義元を急襲して破った戦い。この勝利により信長は天下統一への道を歩み始め、没落した足利将軍家を擁立して京都へ進出する足がかりを得た。
室町幕府の滅亡
織田信長が15代将軍・足利義昭を京都から追放したことで、室町幕府は実質的に滅亡。時代は安土桃山時代へと移り、天下統一に向けた動きが本格化した。