平安時代
平安京への遷都から約400年続いた貴族政治の黄金期です。藤原氏が摂関政治を行い、国風文化の中で『源氏物語』やひらがなが誕生しました。後半には地方の治安維持を担った武士が台頭。平氏の全盛を経て、源頼朝らによる源平の合戦により、政治の実権が貴族から武士へと移り変わる歴史的な転換点となりました。
平安京遷都
桓武天皇が山背国の葛野に都を移す。これ以降約400年にわたる平安時代が始まった。前都の長岡京での不幸や、旧仏教勢力の影響を断ち切る狙いがあったとされる。
最澄・空海の帰国と密教の伝来
遣唐使に従って唐に渡った最澄が天台宗(比叡山延暦寺)を、空海が真言宗(高野山金剛峯寺)を日本に伝えた。これまでの国家守護のための仏教から、山中での修行や加持祈祷を重視する新しい仏教が貴族の間で流行した。
薬子の変(平城太上天皇の変)
嵯峨天皇と、平城上皇を担ぐ藤原薬子・仲成兄妹との対立。天皇側の勝利により、天皇の秘書官長である「蔵人頭」が新設され、律令体制外の役職(令外の官)が政治の実権を握る端緒となった。
藤原良房の摂政就任
藤原良房が、幼少の清和天皇の摂政に就任。皇族以外で初めての摂政となり、藤原氏が天皇に代わって政治を行う「摂関政治」の基礎が築かれた。
遣唐使の廃止提唱
菅原道真が、唐の衰退と渡航の危険を理由に遣唐使の停止を提唱。これにより海外との公的な交流が減少したが、結果として日本独自の文化である「国風文化」が発展する契機となった。
『古今和歌集』の成立
醍醐天皇の命により、紀貫之らが編纂した最初の勅撰和歌集。仮名文字の使用が定着し、繊細な心情を詠む「和歌」の地位が確立された。
承平・天慶の乱
関東で平将門が「新皇」を自称して反乱を起こし、西国では藤原純友が海賊を率いて挙兵。いずれも地方武士団によって鎮圧されたが、これにより朝廷が武士の軍事力に依存せざるを得ない状況が浮き彫りになった。
安和の変
源高明が謀反の疑いをかけられて失脚した事件。これにより他氏排斥が完了し、藤原氏による摂政・関白の独占体制が確固たるものとなった。
女流文学の開花(『枕草子』『源氏物語』)
一条天皇の後宮において、清少納言が随筆『枕草子』を、紫式部が長編物語『源氏物語』を執筆。雅な宮廷生活や美意識が洗練された日本語で表現された。
藤原道長の摂政就任
藤原道長が摂政となり、摂関政治の全盛期を迎える。「この世をば わが世とぞ思う...」の歌に象徴されるように、4人の娘を中宮や皇后として入内させ、天皇の外戚として強大な権力を振るった。
前九年の役
陸奥国の豪族・安倍氏と朝廷側の源頼義・義家父子との戦い。出羽の清原氏の助力を得て鎮圧。東北地方における武家の権威が高まる契機となった。
平等院鳳凰堂の建立
関白・藤原頼通が、末法思想の流行を背景に、極楽浄土をこの世に具現化しようと建立。阿弥陀如来坐像を安置し、定朝様式と呼ばれる和様の仏教美術の頂点を示した。
白河上皇の院政開始
白河天皇が幼少の堀河天皇に譲位した後も「上皇」として実権を握る政治形態。摂関家の力を抑えることに成功したが、自身の警護のために「北面の武士」を置くなど、武士の政界進出を加速させた。
保元の乱・平治の乱
皇位継承や摂関家の内紛に武士が動員された戦い。これらの乱を通じて源義朝を破った平清盛が、武士として初めて政治の主導権を握ることとなった。
平清盛の太政大臣就任
武士として初めて最高官職の太政大臣に就任。日宋貿易による経済力の蓄積や、一族を公卿に列せさせることで「平氏にあらざれば人にあらず」と言われるほどの栄華を誇った。
治承・寿永の乱(源平合戦)
以仁王の令旨を機に、源頼朝ら諸国の源氏が挙兵。富士川の戦い、屋島の戦いなどを経て、平氏を追い詰めていく全国的な内乱期。
壇ノ浦の戦い・平氏の滅亡
長門国壇ノ浦での決戦で平氏が滅亡し、源平の合戦が終結。源頼朝が諸国に守護・地頭を設置する権利を朝廷から認めさせ、実質的な武家政権である鎌倉幕府の支配体制が確立した。