江戸時代
徳川家康が江戸幕府を開き、約260年間にわたる泰平の世が続きました。鎖国体制下で日本独自の町人文化が発展し、浮世絵や歌舞伎、学問が広く一般に普及。参勤交代や街道整備により全国的な経済圏も確立されました。末期にはペリー来航を機に開国し、尊王攘夷運動を経て明治維新という近代化の幕開けを迎えます。
江戸幕府の成立
徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開く。これにより、約260年間にわたる太平の世の礎が築かれた。家康は関ヶ原の戦いでの勝利を経て、名実ともに天下人となった。
大坂の陣と武家諸法度の発布
大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡し、幕府の支配体制が盤石となる。同年、大名を統制するための基本法「武家諸法度(元和令)」や、朝廷を制限する「禁中並公家諸法度」を制定。一国一城令により軍事力も抑制した。
参勤交代の制度化
三代将軍・徳川家光が武家諸法度を改訂し、参勤交代を義務化。大名に江戸と領地を1年交代で往復させ、妻子を人質として江戸に置くことで、諸大名の経済力を削ぎ、反乱を防止した。
島原の乱と「鎖国」の完成
九州でキリスト教徒らが起こした島原の乱を機に、幕府は禁教と統制を強化。1639年にポルトガル船の来航を禁止し、出島でのオランダ・中国との貿易に限定する「鎖国」体制が完成した。
明暦の大火(振袖火事)
江戸市街の大部分を焼き尽くす大火災が発生。死者は10万人を超えたとも言われる。この後、延焼を防ぐための広場(火除地)の設置や、両国橋の架橋など、江戸の都市再開発が急速に進んだ。
赤穂事件(忠臣蔵)
江戸城内での刃傷沙汰に端を発し、赤穂浪士が主君の仇討ちを果たした事件。当時の武士の倫理観を象徴する出来事として、後に「忠臣蔵」として演劇や小説の題材となり、庶民に親しまれた。
享保の改革(徳川吉宗)
八代将軍・吉宗による幕政立て直し。質素倹約を奨励し、新田開発を推進。不足する米を献上させる「上げ米の制」や、庶民の意見を聞く「目安箱」の設置、裁判基準の「公事方御定書」制定など多岐にわたる。
田沼意次の政治
側用人から老中となった田沼意次は、重商主義的な政策を展開。株仲間を公認して運上金を取り立て、長崎貿易を拡大して俵物を輸出するなど、貨幣経済の活性化を図ったが、賄賂政治との批判も浴びた。
寛政の改革(松平定信)
田沼時代の反動として、家康の政治への回帰を目指した改革。飢饉に備える「囲米」や、朱子学以外の講義を禁じる「寛政異学の禁」を実施。厳しい倹約令は民衆の反発を招き、短期間で終わった。
大塩平八郎の乱
天保の飢饉に苦しむ民衆を救うため、大坂町奉行所の元与力・大塩平八郎が武装蜂起。幕府の役人経験者が反乱を起こしたことは、全国の幕藩体制を揺るがす大きな衝撃を与えた。
天保の改革(水野忠邦)
老中・水野忠邦による強硬な改革。物価抑制のため株仲間を解散させたが、逆に流通が混乱。また、江戸周辺の農民を帰村させる「人返しの法」を強行するなどしたが、社会の反発により失敗に終わった。
ペリー来航と開国
浦賀にアメリカのペリー艦隊が来航し、開国を要求。翌1854年に「日米和親条約」を締結し、下田・箱館の2港を開港。200年以上の鎖国体制が終焉を迎えた。
不平等条約と安政の大獄
大老・井伊直弼が勅許を得ずに「日米修好通商条約」を締結。これに反対する尊王攘夷派を弾圧(安政の大獄)したが、1860年に「桜田門外の変」で暗殺され、幕府の権威は失墜した。
攘夷運動と激動の幕末
生麦事件を発端とする薩英戦争や、下関砲撃事件を経て、薩摩・長州は武力による攘夷の不可能を悟る。一方、京都では池田屋事件や禁門の変が起こり、政治の中心は京都へと移っていった。
薩長同盟と大政奉還
坂本龍馬らの仲介で、対立していた薩摩藩と長州藩が同盟を締結。追い詰められた15代将軍・徳川慶喜は、倒幕の先手を打つべく政権を朝廷に返上する「大政奉還」を行った。
江戸城開城と明治維新
新政府軍と旧幕府軍の間で「戊辰戦争」が勃発。勝海舟と西郷隆盛の会談により江戸城が無血開城され、260年余り続いた江戸幕府は完全に消滅。時代は明治へと移り変わった。