安土桃山時代

1573年〜1603年

織田信長と豊臣秀吉が天下統一を推し進めた、短くも華麗な時代です。城郭建築や障壁画など、豪華絢爛な「桃山文化」が花開きました。楽市楽座による経済の活性化、検地や刀狩による兵農分離が行われ、中世の混沌から近世の安定した社会構造へと脱皮。キリスト教の伝来など、世界との接触も活発化した時代です。

1573年

室町幕府の滅亡

織田信長が将軍・足利義昭を京都から追放した。これにより、約240年続いた室町幕府が実質的に滅亡し、信長による天下統一への動きが加速した。

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1575年

長篠の戦いと鉄砲戦術

織田・徳川連合軍が、強力な騎馬隊を誇る武田勝頼の軍を撃破。信長が大量の鉄砲を用いた新戦術を導入したとされる歴史的転換点である(近年の研究では連射方法について諸説あり)。

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1576年

安土城の築城

信長が近江(滋賀県)に安土城を築き始める。壮大な天守を持つこの城は、中世の山城とは異なる「見せる城」の先駆けとなり、豪華絢爛な桃山文化の象徴となった。

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1580年

石山合戦の終結

10年に及ぶ織田信長と石山本願寺(顕如)の抗争が、正親町天皇の仲介により講和で決着。本願寺の退去により、信長は最大の宗教的・軍事的な対抗勢力を排除することに成功した。

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1582年

本能寺の変と天下のゆくえ

明智光秀の謀反により織田信長が自害。その後、羽柴(豊臣)秀吉が「山崎の戦い」で光秀を破り、清洲会議を経て信長の後継者としての地位を固めていった。

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1582年〜1598年

太閤検地(全国的な検地)

秀吉が全国の土地を調査し、土地の面積や収穫量を「石高」で表した。ものさしや枡(京枡)を統一し、一地一作人の原則を確立。農民を土地に縛り付け、年貢を確実に徴収する基盤を作った。

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1585年〜1586年

秀吉の官位就任と豊臣政権

秀吉が関白に就任。翌年には太政大臣となり、天皇から「豊臣」の姓を賜る。これにより、武力だけでなく朝廷の権威を利用して諸大名を統制する体制を整えた。

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1587年

九州平定とバテレン追放令

九州を平定し、西日本を制圧。同時に、キリスト教の拡大とポルトガルによる日本人の奴隷貿易を警戒し、宣教師の国外追放を命じる「バテレン追放令」を発布した。

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1588年

刀狩令と兵農分離

農民から刀や脇差、弓などの武器を没収した。これにより一揆を防ぐとともに、武士と農民の身分を明確に区別する「兵農分離」が進み、近世の身分制度の基礎が築かれた。

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1580年代後半〜1590年代

桃山文化の黄金期

千利休による「わび茶」の完成、狩野永徳が描いた唐獅子図屏風などの「障壁画」が流行。壮大な城郭建築と茶の湯の静寂が共存する、豪壮かつ華麗な文化が花開いた。

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1590年

小田原征伐と天下統一

関東の北条氏を滅ぼし、秀吉が全国統一を成し遂げる。応仁の乱から続いた長い戦国時代が、豊臣政権のもとで終結を迎えた。

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1592年・1597年

文禄・慶長の役(朝鮮出兵)

明の征服を目指した秀吉が、二度にわたり朝鮮半島へ出兵。多大な被害を出したが、秀吉の死去により撤退した。この際、多くの朝鮮の陶工が日本へ連れてこられ、後の日本の陶磁器文化に大きな影響を与えた。

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1600年9月

関ヶ原の戦い(本戦)

秀吉の死後、徳川家康(東軍)と石田三成(西軍)が激突。当初は西軍が有利な布陣を敷いていたが、小早川秀秋らの寝返りによりわずか半日で決着。家康の勝利により、徳川による全国支配が決定定的となった。

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1600年

関ヶ原の戦後の処理と大名配置

戦後、石田三成らは処刑され、西軍の総大将であった毛利輝元は120万石から29万石へ減封、上杉景勝も大幅な減封を受けた。家康は没収した領地を東軍功臣へ再分配し、江戸幕府を支える譜代・外様の配置の原型を作った。

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