飛鳥時代
聖徳太子や天智天皇、天武天皇らが中心となり、仏教を基盤とした中央集権国家への歩みが進みました。遣隋使・遣唐使の派遣により大陸の先進的な律令制度を導入。「大化の改新」を経て、天皇を中心とする法治国家の形が整いました。日本という国号や「天皇」という称号が使われ始めた、国家体制確立の時代です。
推古天皇の即位
崇峻天皇暗殺後の混乱の中、日本初の女帝として即位。甥の聖徳太子を摂政に、有力豪族の蘇我馬子を大臣に据え、挙国一致の体制を整えた。これ以降、飛鳥に宮を置く「飛鳥時代」が本格化する。
聖徳太子の摂政就任
推古天皇の摂政として聖徳太子(厩戸王)が政治の表舞台に立つ。蘇我馬子と協力し、天皇を中心とした中央集権国家の基盤作りを開始。法隆寺や四天王寺を建立し、仏教による国家の安定を図った。
冠位十二階の制定
家柄(氏姓)に縛られず、個人の才能や功績に応じて12段階の冠位を授ける制度。儒教の徳目(徳・仁・礼・信・義・智)を冠の色で表し、官僚制の先駆けとなった。
十七条の憲法の制定
「和を以て貴しとなす」で始まる、役人が守るべき道徳的・政治的規範。仏教や儒教の教えを取り入れ、天皇への服従と公正な政治を説いた、日本最古の成文法的な性格を持つ。
遣隋使の派遣(小野妹子)
隋の皇帝に対し、「日出づる処の天子…」で始まる対等な立場での国書を送った。中国の先進的な制度や文化を直接学ぶことで、日本の国際的地位を高めようとした。
第1回遣唐使の派遣
犬上御田鍬らを唐へ派遣。隋に代わり中国を統一した唐との国交を開始した。これにより、最新の律令制度や仏教文化が流入し、後の大化の改新や律令国家建設の理論的支柱となった。
乙巳の変(大化の改新)
中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺。土地と人民を天皇のものとする「公地公民」を掲げた新政府を発足。難波宮へ遷都し、天皇中心の政治改革を断行した。
白村江の戦いと国防の強化
百済復興支援のため朝鮮半島へ出兵したが、唐・新羅連合軍に大敗。敗戦後、唐の侵攻を恐れた天智天皇は、防人を配置し、水城や朝鮮式山城を築いて防衛を固めるとともに、近江大津宮へ遷都した。
壬申の乱
天智天皇の後継を巡る大海人皇子と大友皇子の内戦。勝利した大海人皇子は天武天皇として即位。強力な権力を背景に、天皇を神格化し、律令国家の完成に向けた制度整備を加速させた。
飛鳥浄御原令の施行
天武天皇が編纂を命じ、持統天皇の代に施行された法典。大宝律令の前身となるもので、官制や戸籍(庚寅年籍)の作成など、律令支配の具体的な枠組みが整えられた。
持統天皇が藤原京へ遷都
中国の都城制を模した日本初の本格的な都、藤原京への遷都。碁盤の目状に整備された条坊制を持ち、天武・持統・文武の3代にわたる律令政治の中心地となった。
大宝律令の完成
刑罰の「律」と行政規定の「令」が整備され、法に基づく律令国家が成立。官僚機構の整備や租・庸・調の税制が確立し、「日本」の国号や「天皇」の称号も公的に定まったとされる。
和同開珎の鋳造
武蔵国から献上された銅(和銅)を記念して発行された、日本初の流通貨幣。唐の開元通宝をモデルとしており、平城京造営の財源確保や、国家の威信を示す目的があった。